インド証券取引委員会(SEBI)は、社債を分散型台帳上のデジタルトークンとして発行・管理する「Demat 2.0」のパイロットを開始した。 REC、L&T、IIFLの3社による発行総額は1,025クロール・ルピーに達し、資金決済にはインド準備銀行(RBI)の卸売型CBDC「e₹」が使われる。 ただし、これは一般利用者が自由に売買できる暗号資産やDeFi商品ではなく、既存の証券規制と市場インフラを維持した機関投資家中心の実証である。
インドで総額1,025クロール・ルピーのトークン化社債を発行
The Blockが2026年9月11日に報じたところによると、SEBIのDemat 2.0パイロットでは、インド企業3社が合計1,025クロール・ルピーのトークン化社債を発行した。
最初の事例は、インド電力省傘下の金融会社REC Limitedによる発行だ。RECは9月7日、18の投資家から500クロール・ルピーを調達した。REC自身も、この取引をSEBIの規制サンドボックス下で実施されたインド初のトークン化社債パイロットと説明している。
続いて9月9日には、建設・エンジニアリング大手Larsen & Toubro(L&T)が4投資家から500クロール・ルピーを調達した。同日、金融サービス会社IIFLも1投資家を対象に25クロール・ルピーを発行した。
これらは暗号資産取引所で販売される独自トークンではない。SEBIによれば、トークン化後も社債のISIN、発行体の返済義務、クーポン、満期、コベナンツ、格付け、担保および投資家の権利は、通常の電子化社債と同じである。変わるのは資産の法的性質ではなく、所有記録や決済を処理する技術基盤だ。
Demat 2.0とは何か
Dematは「dematerialisation」の略で、紙の証券を電子化して証券口座で管理する仕組みを指す。Demat 2.0はその次の段階として、従来型データベースの代わりに、社債をネイティブなデジタルトークンとしてDLT上に発行する試みである。
SEBIの公式FAQは「トークンが社債そのものである」と明記している。つまり、既存社債を表す引換証やラップドトークンを別途発行する構造ではない。クーポン率、支払日、日数計算方式、償還条件など、社債の主要条件がスマートコントラクトへ組み込まれる。
台帳はパブリックブロックチェーンではなく、証券保管機関が所有するプライベートかつ許可型のネットワークだ。インフラは証券取引所や保管機関などの市場インフラ機関が運営し、NPCIが技術・実装面を支援する。初期ノードは保管機関と証券取引所が運営し、将来は他の規制対象機関へアクセスを拡張する可能性がある。
投資家が秘密鍵を自己管理する必要もない。秘密鍵は保管機関が投資家に代わって管理し、トークン化社債は既存の証券口座インターフェースや残高明細から確認できる。MetaMaskなどのセルフカストディ型ウォレットを前提とするEthereum上のDeFiとは、利用体験も管理構造も異なる。
卸売CBDCとアトミックDvPの仕組み
Demat 2.0の重要な特徴は、証券側のトークン化だけでなく、資金側にRBIの卸売型CBDCであるe₹を利用する点だ。DLT基盤はRBIのUnified Market Interface(UMI)を通じてCBDCと接続される。
社債の移転と代金の支払いは、アトミックなDelivery-versus-Payment(DvP)として処理される。これは、社債と資金の両方が同時に決済されるか、どちらも決済されない仕組みである。一方だけが移転し、相手側の受け渡しが完了しない状態を防げるため、取引から決済までの時間差に起因するカウンターパーティーリスクを抑えられる。
発行には既存の証券取引所のElectronic Bidding Platform(EBP)が引き続き使われる。入札、変更、キャンセル、割当ての基本的な手順を維持しながら、割当て後は保管機関が投資家のDemat 2.0口座へ社債を記録し、発行代金を発行体のCBDCウォレットへ送る。
SEBIは、発行体が入札と同じ日に資金を受け取れる可能性を利点として挙げている。また、クーポンや償還金についても、基準日時点の保有記録に基づき、スマートコントラクトから債券保有者のCBDCウォレットへ自動処理する設計が示されている。
DeFiやパブリックチェーンのRWAとの違い
Demat 2.0は、現実資産をデジタルトークンとして扱うRWAトークン化の一例だが、MakerDAOやAaveのようなパーミッションレスDeFiと同じものではない。
第一に、参加者が限定されている。初期段階は機関投資家向けで、既存のKYC、投資適格性、証券規制がそのまま適用される。投資家は既存の証券口座にDemat 2.0機能を追加し、参加銀行でCBDCウォレットを開設する必要がある。
第二に、台帳へのアクセスと秘密鍵の管理が規制機関・市場インフラ機関の統制下にある。Uniswapのように誰でもウォレットを接続して取引できるDEXではなく、凍結、差し押さえ、投資制限といった既存の法的管理もトークン化された保有分へ適用される。
第三に、価格発見の場所も新しいオンチェーン取引所へ移行しない。SEBIの計画では、既存のRFQプラットフォームや取引所のOTC報告基盤をDLTへ接続する。トークン化するのは主として発行、保有、移転、決済、資産管理のレイヤーであり、自動マーケットメーカーによる流動性供給を導入する計画は公式資料に示されていない。
したがって、Demat 2.0を「インド版DEX」と表現するのは正確ではない。一方で、証券と中央銀行マネーを同一のプログラマブルな処理へ近づけた点は、DeFiが提示してきたアトミック決済やスマートコントラクトによる自動執行を、規制市場へ導入する事例として注目できる。
投資家と発行体に期待される実務上の効果
発行体にとっては、発行代金を受け取るまでの時間短縮に加え、利払い・償還時の照合や手作業を減らせる可能性がある。例えばRECのように多数の機関投資家へ社債を発行する場合、共通台帳上で保有者情報を確認し、スマートコントラクトで支払い条件を処理できれば、保管機関、銀行、発行体の間で繰り返される照合作業を簡素化できる。
投資家側では、新しい証券口座や専門的なブロックチェーン設備を用意せず、既存の保管機関の画面からトークン化社債を管理できる。秘密鍵の紛失を自己責任で処理する必要もないため、一般的な暗号資産より既存金融に近い運用となる。
ただし、技術によって発行体の信用リスクが消えるわけではない。L&T、REC、IIFLの社債は、トークン化されても各発行体の返済能力に依存する。格付け、開示、社債受託者、評価、投資家保護などの規制要件が維持されるのはこのためだ。
また、パイロット段階ではサイバーセキュリティ、処理能力、障害耐性、監査可能性、例外処理、決済の最終性などを検証する必要がある。高速化や自動化という期待効果と、本番規模で安定して運用できるかという実証結果は分けて評価すべきだ。
今後は二次流通と個人投資家への拡大を計画
SEBIはDemat 2.0を3段階で展開する方針を示している。第1段階は今回始まったEBP経由のトークン化社債発行と、台帳上での利払い・償還管理で、参加者は主に機関投資家である。
第2段階では、既存RFQなどを利用した二次流通を有効化し、個人投資家にもアクセスを広げる計画だ。それまでの暫定措置として、保管機関への申請によるP2Pまたは証券口座間の移転が認められる可能性がある。ただし、その場合の代金決済はアトミック決済の外で、CBDCまたは通常の銀行経路を使う場合がある。
第3段階では、信用格付機関、証券口座を扱う参加機関、その他の規制対象事業者へのノード拡大や、別の金融商品、より幅広いコーポレートアクションへの応用が検討される。
現時点のDemat 2.0は規制サンドボックス内の限定的なパイロットであり、全国的な本格導入や個人投資家向けサービスの開始時期は確定していない。今後は発行額だけでなく、二次流通の流動性、決済失敗時の復旧、スマートコントラクトの例外処理、従来システムとの運用コスト比較が重要な評価材料になる。
まとめ
インドのDemat 2.0では、REC、L&T、IIFLが合計1,025クロール・ルピーのトークン化社債を発行し、DLTと卸売型CBDCを組み合わせたアトミック決済が実運用段階へ入った。
重要なのは、暗号資産を新たに作ったのではなく、既存社債の法的権利と規制を保ったまま、記録・決済・利払いの技術基盤を更新した点である。パーミッションレスなDEXやDeFiとは異なるが、証券と中央銀行マネーをプログラマブルに連携させるモデルとして、RWAトークン化の実務的な方向性を示している。
今後、第2段階の二次流通と個人投資家への開放が実現すれば、インドの社債市場におけるトークン化の影響をより具体的に評価できるようになるだろう。





